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キリスト教式と仏式の2つの墓をもつ大友宗麟公

【評価:2びーなす】  心の琴線に触れるもの

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今回はわが大分の偉人に関するちょっと面白い話を教えます。正直、珍スポットかといわれれば微妙なんだけど、まぁネタもないことだし許しておくれ。いきなりですが大分県出身の偉人や有名人って誰か思い浮かびますか。他県の偉人ってあんまり知らないだろうから、地元のおいらが考えるTOP3を紹介します。まずはなんといっても福沢諭吉。慶應義塾大学の創設者で現在の一万円札の肖像にも使われるとってもえらい人。これは文句なし。次が今回記事にする戦国大名の大友宗麟公。3番目が荒城の月などを作曲した作曲家の滝廉太郎です。選考理由は単純なんだ。それはね、この3人の銅像がやたらと多いんです
 
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福沢諭吉と滝廉太郎の記事はまた別の機会に書くとして今回は宗麟に集中しましょうか。宗麟公の銅像って県内にどのくらいあると思いますか。おいらが知ってるだけでも5カ所です。なのでこの5が最低ライン。そう考えると結構多い気がするんだけどなぁ。それに大分駅の真ん前には大きな銅像があるし、やっぱり大分の顔なんでしょう。大分県人なら大友宗麟の名前はほとんどの人が知ってると思うんだ。だけど実際に何をした人かって聞かれたら答えられないなぁ。そういう人って結構多いと思うよ。特においらは日本史を専攻していないから頭の中は中学生レベルなのだ。良い機会なので少し調べてみようかな。とりあえず図書館に行って郷土資料を読みあさりました。そしたらネタに出来そうな話を見つけたので、次は現地調査です

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やってきたのは津久見市にある宗麟公園(大友宗麟公・墓地公園)。大友宗麟のお墓がある所です。ところで大友宗麟がキリシタン大名だっていうのは知ってるよね

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では2つあるお墓のうち宗麟の墓はどっちでしょう。ちっちっち・・・。本当にそれでいいですか。ファイナルアンサー

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正解はこっち?。ブ・ブー。はずれです

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ではこっちなの?。うーん、それも不正解。正解は両方ともっていうのが正しいんだな。ここからが記事にした理由だよ。よく見てごらん。最初のお墓が仏式で2つめがキリスト教式でしょ。おいらにはそれがとっても不思議に映ったんだ
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宗麟は豊後国内にキリスト教を奨励し、自らも最終的には入信してキリシタン大名となりました。なので宗麟の銅像にはすべて十字架があります

大友宗麟は享禄3年(1530年)府内(大分市)の大友館で生まれ、父義鑑の横死のあとを受けて天文19年(1550年)弱冠21歳で、戦国時代の真っ只中に大友21代の城主となった。その後内は統治に意を用い外は武威を張り豊前豊後、筑前筑後、肥前肥後の6箇国と日向伊豫の各半分を領し、勢威九州を圧し大友の最盛期を築いた。城主となった翌年宗麟は、日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・サビエルを迎えて教旨を聞き大いに心服し、以後キリスト教を庇護したゝめ信者は日毎に増え府内には西欧文化が絢爓と栄えた。天正6年(1578年)神父カブラルから洗礼を受け教名をフランシスコとした。天正10年(1582年)にはキリシタン大名大村・有馬と共に少年使節をローマに派遣した。しかし天正14年(1586年)島津と戦って敗れ、翌年豊臣秀吉の島津討伐があったが既に疲労甚しく、天正15年(1587年)5月23日津久見の住居で聖者の浄く帰天した。時に58歳てあった。葬儀は神父達によって盛大に行われ、墓もキリスト教式に建てられたが、宗麟の死後僅か1ケ月の後秀吉が突如耶蘇教禁止令を発布したゝめ、嫡子義統は仏式の墓に取替えた。その墓も荒廃し200年後の寛政年間に臼杵の旧族臼杵城豊が、堂宇を新築し新しい墓をこれに納めたのが現在の墓である。しかしその堂宇も破滅し見るに堪えないので、この度石田秀夫津久見市長、木下郁前県知事、平山高明カトリック大分司教、山本峯生県教育長と後任の矢野朔雄氏と私が、大友宗麟公顕彰会を作り設計は斯界の権威磯崎新氏に委嘱し、経費の大部分は水族館マリーンパレスが操業14週記念事業として負担した
昭和52年9月 大友宗麟公顕彰会代表 (株)マリーンパレス社長 上田保


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宗麟は津久見の地で58歳の生涯を閉じ、最初に入ったお墓はキリスト教式。だけど、そう時をおかず豊臣秀吉が宣教師追放令(バテレン追放令)を発令したため嫡男義統が仏式のお墓に取替えたんだって。そのお墓も次第に荒廃していきます。そこで当時の有力者が200年後の寛政年間(1789-1801年)に堂宇を新築したそうです。たぶんこれが寛政年間に作り直されたお墓なんでしょう。宗麟の法名は瑞峯院殿瑞峯宗麟居士。これには瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休菴宗麟大居士という文字が刻まれています

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現代。大友宗麟公顕彰会により昭和52年にキリスト教式のお墓がつくられました。ようやく本来の場所に戻ることができ、宗麟もうれしいだろう。結局、①キリスト教式 → ②仏式 → ③仏式 → ④キリスト教式の順番で変わったみたいです。こんなにお墓を引っ越した人も珍しいんじゃないのかな。こちらのお墓の設計は建築家の磯崎新さん。シンプルだけど品のあるお墓に見えますね。中央にDON FRANSISCO(ドン・フランシスコ)と刻まれてるのがわかるかな。それが宗麟のキリスト教名なんだって

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大分県人にとってDON FRANSISCO(ドンフランシスコ)といえば菊屋で販売している大分銘菓。まさかこのお菓子が宗麟の名前だったとは

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遊歩道を歩いて公園の高台にのぼりました。津久見の町並みを眺めるならもう少し海側にある大友公園の方がきれいだよ

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公園内には大友宗麟公之像もあります

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像の背後には年代別の花押・印章が埋められていた。宗麟は6つの署名を用い、花押・印章を14個ほど使用したと言われています。そのうち代表的な8枚が埋められているんだね

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花押ってじっくり見ると面白いんだなぁ。ていうかマークとして、とってもかっこいいと思う

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最晩年は58才だけど、えらいしょぼくれたじいさんに見えるなぁ。覇気が感じられん

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墓地のところにあったミニ銅像です。これは精悍な顔つきをしていてかっこいい。フィギュアで販売したら人気がでそう

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せっかくなので他の銅像も少しだけ紹介します。津久見駅前にある銅像です

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花押によると天正7年から8年にかけての宗麟みたいです。50歳頃だね

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大分城址公園

由緒深き府内城跡に聳ゆる大分文化会館に郷土出身の彫塑家長谷秀雄氏の制作による大友宗麟公の像を贈り大分ライオンズクラブ結成10周年記念事業として永遠に市民の温古に供したい念願である。宗麟公(1530~1587)は大友家第21代本名を義鎮、極めてハイカラな武将で壮にして九州の大半を手中にし菡萏湾を開港場として諸外国と交易し鉄砲火薬を輸入して戦力を強めた一面切支丹の信者ともなり天主堂教会建立を始め我国ではじめて数々の切支丹文化を花咲かしめた戦国の英傑であった。いま、東九州文化の中心たるべき大分文化会館に公の像を建つるも所以なくはなしと考へる次第である  1969.3.9 大分ライオンズクラブ建之 制作 長谷秀雄


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神宮寺浦公園にある銅像です

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大分駅前

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鳩を頭に乗せたおちゃめな宗麟です。最後に、国内にかぼちゃ広めるきっかけになったのも彼みたいだよ。ポルトガル船が漂着した時に宗麟に献上したものが始まりとされてるんだって。歴史的な評価はさっぱりわからん。だけど、かぼちゃを広めたっていう事とお墓を何度も変わった人。これだけ覚えとけば大丈夫。たぶんテストにはでないだろうけど(笑)
(大分県:津久見市津久見尾畑 宗麟公園)



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この記事へのコメント

ひとり言・・・。 - おにぎり太郎 - 2011年12月23日 17:34:06

大友宗麟(義鎮)  1530-1587

臼杵城跡には宗麟が描かれたレリーフがあります。またそのすぐ後ろには彫刻家の日名子実三氏が製作した「廃墟」という像もあります。これは晩年の宗麟の姿だと以前は考えられてました。実際古い臼杵史談においてもそのように書かれています。しかし今では僧俊寛にヒントを得て製作したものと言われています。本物の廃墟は大分大学が大切に所有しており、これはそれを鋳造したものです。日名子実三氏の故郷である臼杵に置いたことで宗麟と思ったのでしょうね。ちなみに日名子実三氏はサッカー協会の八咫烏のエンブレムをデザインした人なんだって

最近ではロシアで宗麟が製造したといわれる最古の国産大砲がでてきたり、野津町では国内最大規模のキリシタン墓地が発見されました。宗麟関連のニュースの多い年です

変わった名前のアルメイダ病院。このアルメイダって人も宗麟と関係していた人物みたい。大分の地に日本で始めて西洋式病院を立てたらしい

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