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青の洞門と競秀峰

【評価:3びーなす】  日本B級遺産として認定す

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天下の名勝と名高い本耶馬溪町の競秀峰。奇岩群からから構成される美しい景勝地の下に大分を代表する天然の珍スポットがあるのを御存知ですか

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それがこちら青の洞門です。 菊池寛の「恩讐の彼方に」という小説の舞台になった場所だよ

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青の洞門っていうのは僧禅海がノミとツチを使い一人で掘ったといわれる隧道のことです。また日本で初めての有料道路としても知られています

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トンネル内は幅員が狭いので洞門入口には信号機が設置してあるよ。道路工事の時と同じように片側ずつ通過させる方法を採用しています

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ではトンネルの中に入ってみましょうか。入ってそうそう穴が二股に分かれています。これはどうしたことか

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実は旧国道212号線のトンネルは明治期の大改修工事によって掘られたもので、禅海和尚が掘ったと伝えられる部分(作道の長さ342・隧道部分の延長144m)は一部しか現存していません。ちょっと意外でしょ

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当時の洞門は柵のある歩道から右に曲がったところです。たぶんだけど、これも全部が全部当時のままではないと思うんだ

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明かり窓や堀り違い角の壁面には、ノミの細かい跡がはっきりと見て取れる

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それに対し入り口部分などは明らかに形状が異なってるでしょ。ノミではない別のものを使用しはつったようですね

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洞門入口に建てられている山陰隧道碑によると、天井の高さ2丈(約6m)、幅3丈(9m)、長さ308歩、ほぼ四角に掘っている。中は、牛馬が2頭並んで行ける程で、数10歩ごとに明りとりの窓があると記されてます

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当時の明かり窓(最初にあけた明かり窓)。山国川では鴨が羽を休めていました

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こちらは禅海和尚が堀り間違った所です。このまま直進してたら川にドボン。ショックだったろうけど、途中で気がついて良かったね

あの角についてゐる所が堀ちがひをした所であります


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強い意志を持ち道を切り開いた禅海和尚にあやかり開運絵馬を奉納です。洞門開通にかかった月日は約30年。29回落ちても必ず少しは進んでる。がんばれ受験生

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そもそも青の洞門はなぜ作られたのか

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青の洞門からそう遠くない場所に、江戸時代の頃から多くの人が参詣しに行く羅漢寺というお寺があります。日田往還を通って羅漢寺に参詣するわけなんですが、道がとにかく険しい

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当時の人は岩山の上の方にあるこんな桟道(鎖戸)を通っていたそうです。鉄鎖があるだけの粗末な作り。足場はやばいぐらいに狭いです。ここを人馬が通行していたっていうんだから驚きだよね。この先に昔阿保寺があったと伝えられ今も妙見窟などが残っています。登山口があるから近くまでは行けるけど、鎖部分は通行禁止だよ

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山国川の水を引水しようと荒瀬井路が作られたために、上流の水位が上がり河川敷の歩行や川を歩いて渡ることが困難になったのが原因なんだって。なので羅漢寺へ行くためには鎖戸の渡しを通る以外に道はなくなっちゃた。雨が降ったりすると滑落して川で溺死する人も多かったことでしょう


2012年7月3日と14日(平成24年7月九州北部豪雨)の大雨で、銅像の両腕がもげちゃいました。2度にわたる山国川の氾濫はすざまじく、青の洞門はもちろんドライブインも全部浸かったようです

 九州豪雨 大分・中津市の山国川では水位が8m41cmまで一時上昇
 川の氾濫で流失…禅海和尚像の両腕見つかる・大分合同新聞

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僧禅海は諸国霊場巡拝の途中で羅漢寺参拝していた際にたまたまその惨状を見たそうです。これは仏に仕える者として何かをせねば。そこで1721年(享保6年)大願を発して単独工事に着手しました。もともと帯山の集塊石は火山灰と火山礫が混じり固まったもので比較的軟質なものらしい。しかし独りでよくやるわ。すごい人やなぁ

禅海和尚と青の洞門
越後の人禅海和尚は、仏道修行のため回国行者となって諸国をめぐり、享保の頃この地にきた。たまたま、山国川ぞいの岩壁にかかる鎖渡の桟道で、踏みはずして墜死する惨事を目撃、仏道修行者として、この危難をとりのぞき、衆生救済の門を開かんものと大誓願を発し大岩壁にむかって鑿と槌をふるいはじめる。悲願30年、岩をも徹す禅海和尚の不動心は、ついに三四二mに及ぶ墜道を貫通させた。禅海和尚と青の洞門一競秀峰下にその偉業と芳名を千載に畄むると共に、万人をして、禅海和尚の心を持って世に処せんと、その心気を奮い立たせる永遠の師表である
平成2年8月15日 本耶馬溪町  


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最初は独りでノミとツチを使い掘ってました。毎日遅くまでカンカンと。そんな姿を見た村人たちも手伝うようになりました。また托鉢で資金を集めたり中津藩の援助を得たりしたおかげで石工が雇え、大幅に工期も短縮しました。1750(寛延3年)に洞門が貫通。実に30年の歳月を要しています。言葉で30年は簡単だけど、本当に難工事だったんだね。開削当時からいろんな名称で呼ばれていたけど大正の頃からは青の洞門と呼ばれるようになりました。ちなみに青というのは小字です

禅海和尚頌徳碑
今から凡そ250年前(享保20年)越後の旅僧禅海がこの地に来り、人馬交通の難渋を救うためにこの洞門開さくの大悲願を起し独力でこれに着手し、不撓不屈の努力により営々30年を費やしこの鎖戸の岩山をくり抜いたものです。洞門はその後二回の改修によって当初の姿は変わったが、この入口に向かって右側川ぞいの旧洞門の明りとりの窓、堀違いの地点に今ものみの跡がみられ当時の感激を物語っております 昭和57年5月


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洞門開通後は無料で往来できるのかとおもいきや、人は四文・牛馬は八文の通行料をしっかり徴収したそうです。決して左団扇でがっはっはという訳ではなく、その資金で石工を雇い二期工事を行うためです。剰余金の一部は1767(明和4年)、羅漢寺へ祠堂金として寄付(田畑一町歩余と銀二貫匁)したこともわかっています

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彫り終わった後は、念仏三昧の生活でもしていたんじゃないのかな。1774年、84才で羅漢寺山下知剛寺に没し、現在は羅漢寺参道にある禅海堂にお墓は移されました。当時使用していたノミや大鎚なども展示しております

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おいらは念ずれば花開くって言葉が大好きなんだけど、禅海和尚は念ずるだけじゃなくて実行したところがすごいです。脱帽ですわ

参考文献:日本歴史地名大系第45巻 大分県の地名・平凡社。大分歴史事典・大分放送。下毛郡誌


(大分県:中津市本耶馬渓町曽木 青の洞門)



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この記事へのコメント

ひとり言・・・。 - おにぎり太郎 - 2011年12月19日 17:25:16

あとで書く

- らぼっち - 2011年12月23日 01:08:16

あとで何を書くのでしょう^^

青の洞門は車で素通りしていたので
よい勉強させていただきました
間違いそうになったのは面白いですね
そのために何年余計にかかったのでしょうか^^

マンホールの赤い矢印は何でしょう♪


- おにぎり太郎 - 2011年12月23日 19:13:15

■ らぼっちさん こんばんは

ひとり言はあとで適当に書こうかなぁと。とりあえずの枠とり感覚です(笑)

マンホールの矢印は、矢印が指し示す部分だけが禅海和尚が掘った部分なんです。明かり窓がわかりにくいけど、見えるでしょ。他の部分は明治期に軍隊が掘ったものといわれています。ちなみに一番最後の写真は歩道に木片が埋めてあって足が疲れにくいようになってます。伊万里の場合は時期を活用していたけど、その土地ごとにいろんなのがありそうで、探せば面白そう

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